朋
●「とも」の人形 その生い立ちとやさしさ●
工房「朋」の人形たちは、みんな幼い子どもの顔と姿をしている。 まずその顔がいい。
これは、最大 の特徴だと思う。そして、みんなすてきな衣装を着ている。その魅力もつきない。
では、そういう作品は一体ずつ、どんなふうにつくられているのだろう。
どこから、この人形の魅力や特徴はやってくるのだろう。
「朋」の人形は、選ばれたいろいろな素材や技術のほかに、作家が抱いたたくさんのイメージからつくられ
ている。多くの人の心をつかみ、愛されている理由は、きっとその人形を形づくるイメージの、重なりのなかか
ら生まれてくる。いちばん中心におかれているのは、もちろん子どもの 顔の表情だ。
立ったり座ったりしている姿にも、子どもの大切な理想のかたちが映しだされている。
そして、作家の創作意識は、さらにイメージからイメージへ、触手をひろげていく。
たとえば、私たちのだれもが営む生活や、家族のなかを流れる時間のあり方。
人形を求め、それぞれの暮らしの内へ持ち帰る人の心。持ち帰られた人形が、遊ばれ、眺められている場面。
人々の古い記憶のなかで、深く愛惜されている人形や着物。「朋」の人形が、少しずつ世の中に知られていった
道すじはこういうものへの思いを、作家はあらかじめ必要なイメージとしてとらえ、制作に活かしている。
ちなみに、「朋」が制作する人形は、市松人形を中心に、雛人形、五月人形、洋人形などに分類される。
いずれもまだあどけない顔の「男の子」と「女の子」ばかり。
人形の衣装の生地は、江戸末期から昭和初期につくられた着物から取って使う。
だから、一体ずつが異なる柄模様の衣装を身につけている。
身の丈は20cmから64cmまで、幾種類かに分かれ、立ち座りの型は調節することができる。無垢な表情と、まな
ざしの豊かさ。髪や目の自然な味わい。そして、衣装と全身の姿がもつ個性と品格。
それらは、すぐれた伝統的素材や技法と、作家の独自なイメージが結びつくことによって生まれてきた。
立った姿、座った姿のバランスも、見る者の心に確かなリアリティと、やすらぎ感を伝えてくる。
そこにあらわされているのは、時代の制約を超えた“永遠の子ども像”であるように思えてくる。
そんな「朋」の人形たちは、どんな素材や技法からつくられるのだろうか。
どんな人形づくりへの思いに支えられているのだろうか…。そのことに具体的にふれてみよう。
微風や、わずかな空気の流れがあれば、人形の額にかかる髪もさらさらとそよぐ。人間の毛髪という天然素材が、
額にかかる髪を白由に遊ばせ、また、手を伸ばしてその髪を直すという行為を、自然によびおこしていく。
この人毛という素材の選び方にも、「朋」のこだわりが示されている。自然に揺れる人形の髪。
それは、私たちのなかの“永遠の子ども像”に対する根源的な執着を呼び覚まさせてくれる。
ところで、人形についてしばしばおもしろ半分に語られる伝説の類に、「人形の髪が伸びる話」というのがある。
どこそこの古寺にある日本人形の髪が、少しずつ伸びつづけ、ときどき住職が切ってやるのだ、というふうに話は
伝えられる。気味が悪いというより、そんな怪談みたいなエピソードがなぜ発生するのか、好奇心がそそられる。
個々の現象の解明は、専門家に求めるしかない。ただ、常識の範囲で考えるなら、人形の髪の素材が化学繊維で
あったり、植え付けの技術が拙劣である場合には、そういう現象も一時的に起こりうるそうだ。
だが、こういう髪の話はべつにしても、人形につきまとう一種の怖れや不安は、いつの時代にもあった。
もともと見る側の心に属する恐れや不安が、人形に反映される面があったのだろう。同じように、私たちが自分の
誕生や幼児期に対して抱く不安や疑問が、人形を見るときの気持ちに反映されることもあると思う。
しかし、「朋」の人形たちの、柔らかい髪の自然な動きを見ていると、そういう不安や疑間がきれいさっぱり氷解し、
温かい血液みたいな時間が、あらためて体のなかを流れだすように感じる。
眼は、ガラスでできている。人間の義眼と同じ方法でつくられた精緻なガラス細工だ。かぎりなく本当の眼に近い
ものとして選ばれた素材と製法が、伏し目がちで、少しはにかんだ人形たちの視線のみなもとに生かされている。
その視線は、外に向かっていかない。人の目を射るような、能動性をもってはいない。そんなものははじめから消
し去られている。そして、むしろ、人の視線をうけとめ、自分のなかに吸い取るような、深い受動性を感じさせる。
何か語りかけるまでもなく、そのまなざしにふれているだけで、こちらの心が癒される思いがする。
この受動性は、人形が「家族の時問」をこそ生きるものであることの、証しなのだと思う。いつもだれかと、いっ
しょに同じ時間を生きられるために、人形は自分でこの受動性を選んだようにさえ見えてくる。
いつでも、だれの視線をもうけとめ、心の深さや広がりを贈りかえしてくれる一そんなまなざしが、このまなざし以
外にあるだろうか。
そして、人形のこの無垢なまなざしに吸引される私たちは、人形のそんな徹底的な受動性に向かって何ができるのだ
ろうか、と不意に思ったりする。
「市松人形」という呼び名は、江戸時代の歌舞伎役者の名に由来するらしい。
このような人形の特徴は、まず着付けや着せかえができる裸人形であり、上等のものは三つ折れ人形と呼ばれ、腰、
膝頭、足首が曲がり、立ち座りが自在だった。
著者は、さらに人形が、実際に子どもが抱いたり背負ったりして愛玩するものであったことと、その衣装人形としての
遊び方が、腹掛け程度から、子どもの衣装を模してつくり、着せかえるところまですすんでいったこと、そして、人形
には性別があったこと、を伝えている。
「市松人形」は、関西ではとくに「いちまさん」と呼ばれ、女性たちが子どものころから身近に置いて親しむ伝統が
あった。白分で家の着物を仕立て直し、人形の衣装をつくって着せるということも、多くの家庭でふつうにおこなわれ
ていた。明治・大正時代以降、庶民の家でも、商家でも、山手の洋館の家でも、同じように親しまれていた。
人形に着物を着せ、その着物を自分でつくる、という遊びやふるまいは、江戸期以来の暮らしのなかの伝統をうけつい
だものだったのだろう。
たくさん並んだ人形たちのなかで、洋人形の姉妹は少し寂しそうに見える。
怜悧で品のある顔は、少女らしい冷たさや気難しさを、その表情の翳(かげ)りや静かさの隙に浮かべているのに、寂
しそうだという印象はぬぐえない。
それが、またこちらの想像力を刺激してくる。何ともいえず、魅力的な顔だ。
「朋」の洋人形は、やはり古い着物地からつくった衣装をまとっている。ドレスは、地の厚い無地のちりめん。
大島紬が使われることもある。 裏も、男ものの羽織の裏地を用いて、一枚一枚ていねいに手仕事でしつらえてある。
羽織の裏地は、江戸時代からおしやれのポイントであり、いま見てもはっとするほど、鮮やかな柄や色をしている。
工房「朋」のアトリエは、奈良市内の閑静な住宅街にある。明るい庭のある家の一隅に、かしらなどをつくる作業場と、
その他の工程をすすめるための部屋がある。
私が見学に訪れたときも、森垂春幸以下10人足らずのスタッフが、熱心に手を動かしていた。
庭には季節の花が咲き、小さな子どもらが走りまわり、老犬がゆうゆうと寝そべっていた。家族を中心にした生活と、
仕事や商いの現場がひとつになった、ひと昔もふた昔もまえの情景が、明るい光のなかで新鮮な世界に感じられた。
