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羽子板・破魔弓のしまい方・もっと詳しいいわれなど

羽子板、破魔弓をなぜ飾るの?

 

【1】羽子板はなぜ女の子のお守りなの?

お正月の羽根つきは、江戸の昔から女の子の遊びです。
そして羽子板は、女の赤ちゃんの無病息災のお守りの意味も持っているのです。
羽子板でつく羽の玉、あの黒くて堅い玉は“むくろじ”という大木の種ですが
これは漢字で「無患子」と書きます。「子供が患わない」という意味が込められています。

 

【2】破魔弓はなぜ男の子のお守りなの?

読んで字のごとく、破魔弓は魔よけ、厄払いのお守りです。

男の子の元気な成長を願いお正月の縁起の祝い物となっています。
また神社の破魔弓や、棟上げの際、屋根に立てる破魔弓も
弓矢のもつ魔よけの力を信じることから生まれた習慣です。

 

【3】なぜお正月に関係があるの?

羽子板も破魔弓も、ともに古来からの行事であった新春の年占いや厄払いがその始まりです。

男の子が弓矢で的を射て年占いをしたのがのちに破魔弓になり、女の子がお正月に羽をついて、
その年の厄払いをしたのがのちに美しい羽子板を生み出したのです。

 

【4】羽子板や破魔弓はいつからいつまで飾るの?

11月の中旬以降に飾り付けたらよいでしょう。

お正月には贈って頂いた方々を招いてご家庭でおもてなしするのもよい方法です。

基本的には一年中飾っていただいてかまいません。もししまう場合は1月15日過ぎがよいでしょう。

それはこの頃、お正月飾りを焼くどんど焼きのなどの行事が行われる小正月だからです。

昔の元服、15才ごろまで飾りますと、一応羽子板や破魔弓の役目は終わったと考えて良いと思います。

もちろんその後も飾って頂いてもかまいません。

 


 

羽子板、破魔弓の歴史

赤ちゃんが初めて迎える初正月を祝って祖父母や仲人、友人などが女の子には羽子板を、
男の子には破魔弓を贈るという美しい習慣があります。

羽子板の初めは平安時代の階上人(昇殿を許された天皇に近侍する人)が正服を着る束帯の時、
右手に持つ笏(しゃく・長さ一尺ばかりで裏に用事の紙を貼ったが後に敬意を表す具に)から転化したと考えられています。

最初は正月の爆竹(左義長といい、正月15日に宮中の庭で青竹を束ねて毬3個を結び、
これに天皇の吉事などを掲げて焼く、いわゆるどんど焼き行事)に用いられたものが、
後に羽根つきの遊具となったとされています。同時に鑑賞用として正月の飾りものになりました。

羽根つき遊びは室町時代から行われ、貞享、元禄のころ〈1684~1703年)には
公卿、大名、旗本などの間で女児の正月を祝う贈り物にされたといいます。

江戸後期になると、歌舞伎役者の似顔絵を精巧、豪華な押絵で作ったものが流行し庶民の間にも広まりました。

破魔弓は初めから飾り物として作られたものではなく、宮中で正月17日に弓を射る儀式があり、
これを模倣して的を射る遊戯から始まったとされています。儀式射礼または大射といい、
孝徳天皇の大化3年(647年)から行われ、これに用いる的としてわら縄で円座のようなものを作り、
これを「破魔」と言い、男児の正月の祝い物となりました。

破魔弓の基本形は弓2本を左右にその中央に沓を置き、前に矢を数本差し下部に大きな雁股矢尻型の金具をつけ、
さらに漆塗りの飾り板を支柱として取りつけてあるものです。

 


 

羽子板、破魔弓のしまい方

本来は意味合いのとおり飾りっぱなしですが、しまう場合のポイントをお知らせします。

あまり難しく考えなくてもけっこうですが、晴れた乾燥した日にしまうこと。

防虫剤は少な目に、普通の大きさで1~2個。しまうところは湿気の少ない場所に。

【ご注意】羽子板の中には樹脂が使われているものが有ります。

裏を見れば分かりますので防虫剤は入れないで下さい。(代わりに鷹の爪を2~3個入れる)

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